写真・帰省の風景

2015年2月 7日 (土)

帰省の風景2015

帰省から1ヶ月程たち
2月になってしましました
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山口県の素朴な風景に中にこそ
自然は生きているという事でしょうか
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かつては汽車で通勤通学の美祢線です
なかなか景観のすぐれた風景もなく
廃線寸前ですが山陽本線から山陰に
向かう唯一の交通機関です
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今の大河ドラマ「花燃ゆ」で蘇るチャンスなのですが
地味な地域故それを生かす努力も
アイデアも気力もない印象です・・
せめて日に1本でも厚狭から萩まで直通、汽車運行
していただきたいものです・・
その点、坂本龍馬の四国高知、愛媛は大河ドラマセットを
移築する程、観光に力を入れている印象でした。
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庭の池にも薄く凍っております
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実家の周辺は
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地元のセメント工場発掘現場のため
水の流れに清涼感が
乏しいのが残念な地域です
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かつては金魚や鯉をかっていた池ですが
最近、渡りのサギが居着いたため
すべて食べられたようです・・
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ただ、車で30分程度のところに
秋吉台の日本有数のカルスト大地がある
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カルスト地形とは、水に溶けやすい石灰岩 などの
大地が雨水、地下水で
浸食、溶解して地下には鍾乳洞ができた
空気中の二酸化炭素を消費する自然現象と
フリー百科事典に掲載されている
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まさに典型的な地形です
元々は海底の珊瑚礁が
プレートの移動によりそぎ落とされて隆起したことが
日本の島の起源のようです
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てっきりアジア大陸から分断した
地に足の着いた岩盤かと思いましたが
どうやら地球の海底のくずが折り重なって
隆起したまさに危うい不思議な島のようです。
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当然地震や津波は
今後もつづく可能性大です
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個人的には原発の安全性はかなり疑問としか思えません
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その証拠となる地形がまさにこの
秋吉台という事のようです
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戦後、アメリカ軍と陸軍が爆弾の演習場に
するという事であったが
貴重な地形故に地元、有識者で反対されたので
大分に演習場は移ったようだ
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そもそもその演習自体が
世の役に立ったかは全く疑問である
その後、そこまで重要な地形なら
ここは国定公園にしろとアメリカ軍が言ったようだ
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演習場で破壊されれば日本の起源も歴史も
貴重な資料も消失する事になった。
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おそらくその後企業などに任せればセメントなどの
作業所になって自然破壊が進んだ事だろう
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心地よい冬の陽射しに誘われて
写真を撮っていると庫本さんに
お会いしました。博物館館長さんと
言う事でしたがその場では全くわかりませんでした・・
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NikonD600フルサイズ標準レンズをお持ちでした
秋には草原が黄金色に輝いたそうです
春には新緑とヒバリのさえずりが
爽やかな雰囲気でした。
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暖かな陽射しなら特等席のベンチもあります
なんと言っても地元民は小学校の
遠足の時期にしかここに訪れることもないし
ドライブで車で通過するのがほとんどなので
この広大な大地を独り占めできます
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まるで恐竜の化石のような倒木。
写真撮りを車ですると繊細な発見を見逃す可能性大です
やはり徒歩で散策撮影が一番という事です
地域の特徴と個性としては
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やはり大理石と石灰岩、炭坑の地下資源の
宝庫である事は間違いありません。
セメント工場内の金属と石の歴史の写真は
撮れれば迫力の存在感になるはずです。
そういえば庫本さんが石灰岩の発掘現場の
爆発写真は迫力がある作品と言っておられましたが
どのようなものだったのでしょう・・
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仕事としてはほとんどが警官か教師、役所の公務員と
セメント会社程度しかなく少子化で
過疎化と閉校と統合が繰り返されているようです
創作的な表現のできる人材不足は確実で文化レベルが高いとは
言いがたい状況である事は確実です・・・?
石の彫刻と絵画、イラストなどの創作作品と
桜などの演出と美化。
この地域にはそれ以外に活性化はないでしょうが
生活するだけで精一杯ではそれもかなわない事でしょう。
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以前は海軍の炭坑として栄え
神輿をかつぎ狭い道にバスも走っていたとは
今は想像する事さえもできないほどの近所の町があります
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かつては夏にはこの井戸でスイカでも
冷やして賑わったであろう廃虚のような
建物は冬の雪のちらつく様は哀愁に満ちております。
かつては同級生もいた町内ですが
今となっては関東、関西に移り住んでいる事でしょう。
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小さな一軒家が畑の隅に置き去りにされています
かつては小さな生活でも人のぬくもりがあったでしょう。
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世界を見据える事は必要ですが
地元の足場は大丈夫ですか?安倍さん・・
長州と言っても所詮、関東育ちでしたか・・・?
山口の人口密度ランキング
さすがにこの地域は人口密度は最下位に近いです・・

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2015年1月14日 (水)

2015年の帰省

2014年12月31日に
山口県に帰省しました。
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あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
既に1月も半ばになっております
実家にあったシロアリから救い出された
アルバムに幼少時代の
私の写真があった。
なかなか利口そうな
顔立ちですが
イメージ創作力で頭が一杯で
一般教養はまったく
頭にはいらなかったようだ
唯一ずば抜けていたのが図工と美術である
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私の故郷は盆地で
滅亡した大内 義隆家来だったと
言う事らしい。逃げ延びたこの盆地で
紺屋を営み染め物をしていたようだ
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そういえ大きな壷などもあった
祖父は田舎が嫌いで下関に
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移住して秋山商会の支配人、取締役専務であったが
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戦時下の戦禍を逃れるため
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と食料難で帰ってきたのは良いが
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百姓をした事もなく背広で田植えを強行したという事です
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田んぼの畦も三鍬でやったらしく
田んぼの水が漏れたようだ
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農地改革と同時に
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隣人の山師や土方に土地を取られた
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炭坑と石灰、セメントの工場のため
風光明媚とは言えない環境である
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川が清流ならまだ救えるが・・・
戦時中は海軍の炭坑があり
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祭も賑わっていたが今はその痕跡も残っていない
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街並はそのまま衰退して人通りもまばらで
駅前の大店舗に客足は遠のきまさに
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哀愁の空き家がちらほらあるなかなか
渋めの雰囲気で写真撮りには好都合である
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かつては町内を神輿が練り歩き
狭い道にバスも走っていた。
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その小さな町並みには同級生も数人いたように
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記憶している。しかし炭坑はつぶれセメント会社か
市役所、警察、教員などの公務員しか仕事がないので
人口も流出してしまったようだ
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朝霧もほのぼの晴れて・・・
と校歌もある様に朝霧がかなり濃い
幻想的な一瞬でもある
旧小学校木造校舎は
かなり痛んでいたが今でもあったら
なかなか哀愁の写真が撮れるはずである
明治の壁掛け電話があり今思えば
博物館にしたくなるような校舎であった

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2014年5月17日 (土)

帰省の風景2014年5月

土地境界線の交渉問題で
帰省しました。
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往復4万円の帰省費用は自営業には
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こたえます。母のストレスを考えると
無駄にはできない時間となります。
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風景はいつもの様に素朴です。
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ローカル線の情緒も楽しめる新緑の季節
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12時から午後6時前後の到着。深夜の寝台列車の
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時代から考えれば早くなったとはいえ
やはり遠方である事は確かです。
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かつては蒸気機関車で通学の道
早朝の汽車の哀愁がトンネルの黒ずんだ
痕跡で忍ばれます
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車両はワンマンの1両、一日の本数は
1時間に1本あるかないかのまさに廃線寸前の
哀愁の路線となっております
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個人的にはそこが魅力と考えます。
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個人的に気に入ってる廃屋の様な空き家のかつての
金物店ですが総二階の木枠の窓から
当時は賑わったであろう夏祭りの路地を
ご家族が団扇片手に眺めていたのではと
忍ばれます。店舗の陽射しよけも哀愁あります
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この路地串焼きの提灯がまた哀愁があります
まだ営業してるようです
夕暮れに灯が灯るとまさに昭和です
モノトーンにすると当時そのままで時間が止まったようです
タバコ屋のタイルと木製のシャッターが
なかなかこった作りで当時の街角のタバコ屋という
雰囲気がまさに昭和レトロです
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売り家もあります、近所の新築の建て売り住宅に
引っ越されたのでしょうか
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今では珍しい高級素材の土壁の廃屋が渋いです
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昆虫もまだでてきていません
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母の畑にはエンドウ豆が花盛りです
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淡い色彩のツツジは穏やかな気持ちにさせれます
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水田になるとカエルが目覚めて
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田んぼで一斉に大合唱を
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始めます。まさに里山で
生物と人間の共存がバランス良く
共有している場所だと思います
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ただ後継者不足で過疎化が進んでいるのは
現実で土地に固執して自らを見失っている
隣人もいることも事実です、
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原野になるより自然を大切にして活用される方に
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ご提供できる事が理想とも思います
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庭には母の育てた花が満開です

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2014年5月15日 (木)

帰省の風景

5月3日から13日まで
土地境界線問題と草刈り家事手伝いで
帰省して参りました
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昭和の戦後の混乱の中
山師と大嘘つきが相手では
父もさぞかし苦労した事でしょう
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結局40年も境界線を越えて居座っており
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それを含めてセメント会社に
売ったというものです
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交渉は昨晩考えた様な嘘で境界を平地にならして
決裂し同じ故郷の住民として自慢できることではなく
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この地域の文化レベルの低さに
改めて気付かされる事になってしまい
誠に 遺憾で残念です。
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風景写真は周辺を撮ってみました
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地下資源の地域なのでいやされる風景とは言えませんが
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この時期、水田になっており工場のシルエットも
夕焼けの輝いていました
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お茶の先生も行った母は花が趣味ですので
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アヤメや畑のエンドウ豆が目に鮮やかでした
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美祢線にて仙崎まで乗車しました
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なんと言っても1時間に1本あるかないかの
状態なので滞在時間は数時間が限界となっております
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シロアリにアルバムを食い荒らされ当時の
妹の写真を一部救出したのが思い出のようです。
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大内義隆の家老の杉の家来だった先祖のようで
陶隆房の反乱によりこの僻地にたどり着いたようだ
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その歴史的なものは盗まれたりで
ほとんど痕跡は残っておらず
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先代も留守番をおいたのみで放置した家であったようだ
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という事もあり地元の山師同然から
土地を取られる事になったのであろう
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近所のは高原秋吉台、秋芳洞があり
地下資源と化石の地域でもあります
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大岩郷は山に巨大な岩が吹き出したようで
素朴ながら不思議な風景となってます
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日本海の海だけは自慢できます
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実家に帰省しても周辺住民との会話はないし
4年ごとの同窓会程度なので
山口県民を知らないと言っても良い状態ですが
最近ではネットでの会話をきっかけにリアルにお会いできる
ことが可能になったのはすばらしい。

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